「喜撰法師が住みける庵は何処の程にて候ぞ」
橘橋
平等院の東、宇治川の橘橋を渡ると橘の小島に出る。
橋の上から上流を望むと朝日山等が美しくそびえる。
朝日山
宇治は昔から景勝の地とされ、宇治川近くに営まれた貴族の別邸のなかに、源融のものがある。その後藤原道長の手に渡り、その子頼通に譲られた。頼通の手により寺とされたものが平等院である。
渡月橋
平等院
小島
扇の芝
「平家にあらずんば人にあらず」といわれた時代に、以仁王を奉じて謀反を起こしたが、多勢の平家にはかなわず、平等院で「埋もれ木の 花咲く事もなかりしに 身のなる果ては あわれなりけり」と辞世を詠み、軍扇を敷き自害した。
「名にも似ず 月こそ出ずれ朝日山」
「これこそ平等院にて候へ」
「されば名将の古跡なればとて 扇の形に取り残して 今に扇の芝と申し候」
喜撰橋
「これに見えたる小島が崎は 
名に橘の小島が崎」
平等院
「ここぞ平等大慧の 功力に頼政が 
佛果を得んぞありがたき」
宇治川は急流で水害もしばしばあったが、近江・大和を結ぶ木材輸送路として古くから重要な役割を担ってきた。
宇治川
「宇治の川橋うち渡り 大和路さして急ぎしに」


「水の逆巻く所をば 岩ありと知るべし」
宇治川先陣の碑
「田原の又太郎忠綱と名のって 宇治川の先陣我なりと 名のりもあえず 三百余騎」
この宇治川は度々戦場になった所で、田原又太郎の奮戦や梶原・佐々木の先陣争いなどが伝えられている。
平等院
「平等院の庭の面」
源三位頼政の墓
「いかさま聞きつる源三位の その幽霊にてましますか」
「扇の芝の草の陰に帰るとて失せにけり」