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藤(ふじ)
都の僧が加賀の国から善光寺へ向かう途中、越中の国多祜の浦まで来ると、藤の花が真っ盛りでありました。あまりに見事な藤に見とれ、 「おのが波に同じ末葉の萎れけり 藤咲く多祜の恨めしの身ぞ」という歌を思い出していると、ある女性が「多祜の浦や汀の藤の咲きしより 波の花さえ色に出でつつ」という美しい歌ではなく、どうしてそのように、わが身の上を歎く歌を口ずさむのかと問いかけてきます。そしてさらに、ここの藤の花にしてみればこれはとても嫌な歌で、花に理解のない人は恨めしいとまで言い残し、いなくなってしまいます。実はこの女性、藤の花の精だったのです。その夜僧は法華経をあげ、多祜の浦で一夜を明かすことにしました。その夢枕に先程の藤の花の精が現れ、薄紫の袖を翻し、舞を舞います。それはそれはとても美しい舞です。藤の花から滴り落ちる露は紫の色をなすといわれ、藤の花が水面に映り、月までもが紫に霞むのです。
春から夏にかけて咲くこの藤は、暮れ行く春の形見と人々から惜しまれ、この多祜の浦の松の梢のかかる美しい紫も深い味わいをなします。春風に誘われ、波も美しい模様を作り、月光に翻る袖は紫の影を映し、紫に薫る藤の精は霞に消えて行きます。
草木の精を扱った曲は、「杜若」「梅」「六浦」等、他にもいくつかあります。その中でこの「藤」という曲は、純粋に藤の花の美しさを感じて頂ければよいのではないかと思います。皆様が今までにご覧になった藤の花の中で、一番美しく薫る藤の花が、舞台いっぱいに見えれば、演者としては嬉しい限りです。
